ものをつくることと違和感

他人と一つのものをつくることが僕の仕事だ。
ものをつくるということには責任が伴う。ここが一人でものをつくるときとの一番大きな違いかもしれない。
責任とは何か。
責任とは、たぶん自分でつくった部分については、なぜそうしたいのか(したのか)を他人に説明する必要がある、ということだと思う。

28年同じような仕事をしてきているが、多かれ少なかれそこには思惑の違い、意見の相違、何をどの程度までやるのかの認識の違いが、小さな衝突を招くことがある。
根本的な考え方の角度や嗜好、思考の違いがそれを招くことさえある。

他人と一つのものをつくるのだから、当たり前だ。

小さな衝突には目をつぶる、ということでそれを乗り越えようとする場合、どうなるのだろう。一つひとつの衝突が小さいものならば、何にも影響ももたらさないのだろうか。


ひとは我慢を重ね続けるとどうなるのだろうか。やはり疲弊して金属疲労のように最終的にパキッと折れてしまうものなのだろうか。

そんなことを考えている。

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